Surabaya, Indonesia
インドネシア1995
1995-96年にスラバヤへ合計4回出張した。スラバヤへは、成田からジャカルタを経由してガルーダインドネシア航空で往復した。スラバヤは国際空港なのでシンガポールや台湾への直行便を飛んでていた。我々は、ジャカルタで打合せをする関係で毎回ジャカルタ経由でスラバヤへ入った。
オレンジ色の瓦屋根が続くスラバヤの町並み
ウエスティンより市街地を望む | ストームが来ているところ |
スラバヤ
スラバヤは、東ジャワ州の北部、Mar Riverの河口、マドゥーラ島との海峡に位置し、人口約260万人、東ジャワ州の州都でありインドネシア第二の都市である。 スラバヤ港は砂糖、タバコ、コーヒーを輸出するインドネシアでも最大級の港湾施設であり、海員養成機関もある。
スラバヤは、旧名Soerabajaと言い、sura(Shark)とbuaya(crocodile)が語源であり、サメとワニが「最も強くパワフルな動物」のタイトルを獲得するために戦ったというこの地域の伝説に由来する。現在、このサメとワニはスラバヤ市の市章に表現されている(Tugu Pahlawan (Heroes' monument))。
スラバヤ市街地
コーランの響き(アザーン)
最初のころ、朝4時のお祈りの誘い悩まされたがそのうちに慣れてしまった。丁度ウエスティンの隣にモスクがあったからだ。
点描
テニスコーチ | 小籠包の店? |
旧ヤマトホテル
スラバヤには日本占領時代のホテル、ヤマトホテルがあった。その建物は現存し、当時、マンダリンホテルの所有で修復中だった。 (Hotel Majapahit Mandarin Oriental Surabaya)
ちょっと郊外
爆発?掲示板 |
食事
スラバヤの食事
ナジゴレンとうのはインドネシアのどこでも食べられるが、スラバヤ料理といえば、牛の骨を輪切りにしてそのまま煮込んだスープが美味しかった。色が黒いのだ。
潮州料理 (カニ、イカ、スープ)
滞在していた、ウエスティン(当時)の近くに料理が集まっている通りがあった。ここにホテルから教えてもらった美味しいと評判の中華料理屋があり、勇んで出かけた。看板を見ると潮州料理とある。メニューもあったが何が美味しいのかわからないので、周りを見ながら他の客が食べている料理を指差して注文した。中でも海鮮スープ、イカ、カニが多く同じもの試した。これが、大当たり、
ショウロンポウ(小籠包)
小籠包が美味しいと評判のお店があり時々食べに行った。上の写真の店だった記憶だ。
スラバヤ港と旧日本海軍
1942年2月27日〜28日にスラバヤ沖で連合軍(オランダ、オーストラリア、米国)との海戦があった。
スラバヤの住まい
Westinのペントハウスに住む
新しく出来たWestinの最上階にアパートがあり、安くしておくから住まないかと誘いがあった。かなり設備がよく、バッドルームとキッチン、リビングと別れており、さらに、スラバヤの町全体を見渡せる眺望が非常によかった。料金はホテル代とさほど変わりないのでこのペントハウスに住むことにした。ここは稀にみる快適な住まいであったことはいうまでもない。
スラバヤのホテル
当時のインドネシアはリーズナブルなビジネスホテルが少なく、やや高めながらインターナショナルブランドホテルに落ち着くというのが常、スラバヤは地方都市ゆえかHyatt Regency Surabayaに長期滞在することが出来た。日本料理レストランもあったのは以外であった。別棟がアパートになっていたが月3000米ドル弱だっただろうか、そこには手が出なかった。プールとテニスコートの横で快適だったことだろう。
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スラバヤのお天気