15年ぶりのミレニアム・ワルシャワ2000年1月
2000年をプラハで迎えた後、夜行寝台列車でワルシャワへ行くことにした。チェドックで列車の切符を購入、あっという間に買えたのは市場経済化の効果?だろうか。
早朝、ワルシャワに近づきはじめたあたりから乗客が少なくなっていった。窓の外をみると、あたり一面の雪景色、ワルシャワは寒々としていた。
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ワルシャワミレニアム
1985年にワルシャワへ来たときから15年も経っていた。あの時は夏、東ベルリンの動物園駅(Zoo)から夜行列車(二等、コンパートメント8人掛け)だった。同じコンパートメントの乗客にフランスの農場で働いていてポーランドへ里帰りするカップルがいた。彼がポーランド人で彼女はフランス人だった。Zooを出てしばらくするとその彼はおもむろにラベルの貼っていない赤ワインを取り出し、どうぞと一杯いただいた。
特別なワインだというだけあってなんとも口当たりがよく後味も良かった。ワインが終わると今度はウオッカを出し、そしてオレンジジュースも取り出した。そして、私にウオッカの飲み方を教えてくれた。
場所は同じだがまったく洗練されてしまったツム。
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ワルシャワ中央駅とツム
1985年のときも中央駅に着いたのだが、当時の面影はあまりなかった。ワルシャワ中央駅構内の閑散とした感じはなく、キオスク、レストラン、旅行代理店などのブースが詰め込まれていた。
これもまた思い出すのだが、1985年のとき、中2階にあるレストランで食事をした。夏にもかかわらず野菜など目にすることはなくスープとパンを食べた。そのスープはチキンかガチョウの骨と野菜の細かいのが少しだけのかなり薄味だった。
駅前のツム百貨店は商品が溢れ、ショウウインドウには最新のモードがディスプレイされ、何ら西ヨーロッパの町と変らない様相だった。そして、ソ連から贈られた駅の近くの文化宮殿は変わりなく威風堂々と建っていた。
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蝋燭の灯火 |
ワルシャワの地下鉄
最近、ワルシャワで一部地下鉄(ライン1)が開業したと聞いていたので、その区間を乗ってみた。南北(ライン1)と東西(ライン2)の路線が計画され、ライン1の南半分(ワルシャワ中央駅から南)が開通していた。終点駅の周辺では新興住宅地となり住宅開発が活発に行われていた。地下鉄はこれからなので、市民の足は共産主義時代と同様トラムとバスである。切符は、メトロもバスもトラムも共通であり、乗客の責任で切符を買い、そして、打刻する。したがって、改札というのは存在しない。あるのは切符を打刻する装置だけである。時々、コントローラーという私服が乗客の切符を確認して廻る。
ワルシャワでのホテル
プラハのホテルで寒い思いをしたのワルシャワではちょっと奮発した。どうせならハイエンドとSheratonとInter-continentalに宿泊した。
ワルシャワでの滞在先(Sheraton Warsaw, Victoria Inter-continental Hotel)
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