イルクーツク停車 | バイカル湖畔観光村-リストビャンカ

Irkutsk | Listvyanka

Baikal and Listvyanka1985年7月5日(金曜日)

イルクーツクで一泊した目的は、ユーラシア最大の淡水湖(31,494skm)、世界で最も深く(1,637 m)、最も透明度が高いバイカル湖をみることであった。ツアーではないので手続きはインツーリストホテルで行った。事前にこの観光村の存在を知っていたわけではなく、ツアーに申し込んで初めて知ることとなった。

ここは外国人が立ち入ることができる数少ない場所であり、写真撮影も何ら規制がなかった。それで知らず知らずのうちに撮影枚数が増えていた。半日コースだったのでイルクーツクに戻ってからイルクーツクの街も見られると考えていたが、このバイカル湖畔ツアーの予定がどんどん遅れて、結局、イルクーツク・インツーリストホテルに着いて間もなくシベリア鉄道へ再乗車することとなった。よってイルクーツクの町をしっかり見ていない。


イカルスのバスでバイカル湖観光村へ

朝、エレベータ事件があり出発が大きく遅れながらも置いていかれることなくバイカル湖行きイカルスバスの乗客となった。これはインツーリストのマリナも同じエレベータ事件に巻き込まれていたからだ。

イルクーツクからバイカル湖畔のリストビャンカまで70km、バスで小一時間の距離、地図ではアンガラ川に沿って道路があるが道路からはまったく川など見えない。このアンガラ川、バイカル湖に流入する河川が数百あれどバイカル湖より流れ出る唯一の河川である。

ハンガリーのイカルス製バスに揺られて森林を切り開いた道をひたすら走っていった。イルクーツクの街は直ぐに終わってしまい、森林の中のほとんど直線の単調な道路が続き、時々トラックにすれ違うだけで他に交通なかった。この定規で描いたような直線の道路では道路沿いに針葉樹が迫ってきていた。防風・防雪林なのか森林地帯なのかよくわからないがこれまた単調な風景の連続だった。路肩には時々白い草花が咲いていた。途中、視野が開けた見晴らし台があり、バイカル湖が眺望できた。

Irkutsk-Listvyanka Road 5July1985
バイカル湖へ向かう道路 Listvyanka (ソ連時代)

Listvyanka


バイカル湖を見下ろす展望台にて

リストビャンカに着く前、バイカル湖を見渡す展望台にバスが停車した。バイカル湖を背景に横浜からずーと同じ旅程のフランス人教師たちと写真を撮った。背景がバイカル湖だが海のようにも見える大きさだけは実感した。生憎この日は雲が多かった、服装は非常に軽装である。この程度でもぎりぎり重ね着するするまでには至らなかったが、一瞬で天気が変わるのでズボンと上着が望ましい。

Lake Baikal 5July1985 Lake Baikal 5July1985

Listvyanka リストビャンカの聖ニコライ教会

村の近くでバスから降りた。そして、案内の人(地元の人)と共に村の中を歩いた。事前情報がないので、物珍しさだけで先に進んだ。どうやら、村の奥にあった木造のロシア正教会、聖ニコライ教会が見せたかったようだ。政治的な意図があったのかわからないが、わがソビエト連邦の共産主義は宗教を否定していないんだと、確かにここでは宗教は生きていた。教会内の何本ものロウソクの灯の光が揺れる様はどこで見ても荘厳である。

St.Nicolai-Listvyanka 5July1985 Listvyanka 5July1985
Listvyanka 5July1985 Listvyanka 5July1985

庭先にはライラックの薄紫色の花が・・・良く見えないですが女性の右側の木です。

リストビャンカ村を散策

霧が立ち込めていたせいもあり幻想的な集落の印象が増した。皆、家々は木造でそれぞれの飾り窓に特徴があった。家の前には、ライラックの薄紫の花が咲き、シベリアの短い夏を思いおこさせた。

共同井戸があったので上水道は敷設されていないのであろう、道路も舗装はされていなかった。住宅は木の塀や柵で囲まれていた。家の前で可愛らしい子供たちが遊んでいた。

Listvyanka 5July1985 Listvyanka-5July1985
Listvyanka-5July1985 Listvyanka-5July1985

リストビャンカ村の美しい飾り窓

この村の窓は皆、美しく装飾がされていた。夏の一時だけしか楽しめないのだろう、それとも、これも外国人が訪問するので中央からの指導?とやや複雑に考えてしまったが、この村は美しかった。

Window-Listvyanka-05July1985 Window-Listvyanka-05July1985
 

リストビャンカ村のバイカル湖畔

Listvyanka-05July1985湖畔沿いの通り、桟橋には漁船が数隻停泊していた。オームリ漁用だと聞いた。バイカル湖沿いの道路、なんとなく、電柱の傾き加減がシベリアを想像させる。


バイカルホテルとバイカル湖産白身魚「オームリ」(サケ科)

Baikal Hotel Intourist-Listvyanka-05July1985

湖畔の小高い場所に建つインツーリストホテル(バイカルホテル)、夏だからだろう、野に咲く黄色い花がホテルの周囲に絨毯のように広がっていた。

ランチはこのホテルのレストランでとった。外国人旅行者に食事を出せるのはこのホテルしかないようだ。レストランは、バイカルという名だった。メニューはツアー指定のバイカル湖産白身魚「オームリ(サケ科)」のフライ・ヨーグルトソースかけだった。この魚はバイカル湖でよく取れる魚で漁業が成り立っているとの説明だった。

バイカルホテルは、1979年に

単なる観光村ではなかったリストビャンカ

リストビャンカは17世紀中ごろにロシアの開拓者が、貿易と軍事上の拠点として築いた。バイカル湖航路の発達に伴い人口が増加し、多くの船舶がこのヤードで建造された。英国の砕氷船、「バイカル号」や「アンガラ号」もここで組み立てられた。18世紀になりフェリーが商人をモンゴル、中国、極東へ運んだ。

イルクーツク、シベリア鉄道リンク