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戦時下のベオグラード・ユーゴスラビア通過の想いで、1994年1月

1994年1月中旬、ウィーンからソフィアへ鉄道で行く途中ユーゴスラビアのベオグラードを経由した。戦時中とは聞いていたが鉄道は運行しているし国際列車だしと思ってこのルートにしたが、ブダペストを出発しユーゴスラビア国境へ近づくにしたがって様子が緊張していった。

ウィーンから鉄道で内戦下のユーゴスラビア・ベオグラード(Beograd, Belgrad) を経てソフィアへ-そのとき見たこと

トーマスクックの時刻表から

トーマスクックの時刻表を渋谷の本屋で見つけ立ち読みしていると何年も前にこれを駆使してヨーロッパを旅したことを思い出ししばらく懐かしさに浸りながらページを捲った。

 路線図と鉄道の時刻を表す数字が並んでいるだけだが欧州大陸を縦横無尽に走る鉄道網はわたしの想像をどんどん膨らませてくれる。ウィーンから”オリエントエクスプレス”という名の急行列車で一路ブルガリアのソフィアを鉄道で・・・、軽い気持ちでこのルートでソフィアへ行くことにした。

ウィーンでとりあえずソフィアまでの片道切符を買い”オリエント・エキスプレス”というで急行列車でブダペストへ、そして、ここでソフィア行き列車へ乗り換えた。ブダペストからベオグラードへ向けて走り出すと時々UNマークのついた戦車を運ぶ貨車とすれ違い、これまでとは違う何かものものしい雰囲気がユーゴスラビアへ繋がる路線にはあった。

ブダペストからベオグラード経由ソフィアへ

国境駅でのコントラスト、ハンガリー側は乗降客少なく今までと変らなかったが、ユーゴスラビア側での駅は戦時下の国境貿易や買出しに来た人たちで溢れていた。ハンガリー側から一緒だったコンパートメントの乗客が、たくさん人が乗ってくるから荷物などを気をつけるように注意してくれた。

 窓から見を乗り出して外を見ると、ものすごい人が列車を待っていた。列車が止まらないうちに乗り込もうと乗り降り口に群がり、トイレの窓やコンパートメントのからも乗ろうとする。ユーゴスラビア国内では食糧や生活必需品が不足しているので、ハンガリー国境まで買出しに来ているとのこと。人が乗ったら今度は買出しの品々、これを所狭しと詰め込んで出発となった。ブダペストからがらがらだった二等コンパートメントはここで一挙に満席になった。ベオグラードまではこのままでの状態だった。

 ベオグラードで2-3割降り、それから主要な駅に停車するごとに国境から乗り込んできた人たちはそれぞれ荷物を担いで降りていき、ブルガリアの国境を越える頃までには買出しの乗客はほとんど降りてしまった。乗客は様々な人たちだった。黒い髪と黒い瞳、スラブ系の金髪、浅黒い肌のひと、ベールを被った人などいろいろな人たちだった。

 ただ列車に乗り合わせただけだったが戦時下というのは異様な緊張感を与えるものだということ、そしから国際列車が逞しく運行されていることに感心した。

これがユーゴスラビア・バルカン半島の現実・・

(ユーゴズラビアは2003年セルビア・モンテネグロへ国名変更)

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