キエフ (Kiev)回想

-キエフ、マロニエの並木が美しい街-

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ここの写真は借り物です
キエフへ行くことになった理由

 キエフへは偶然行くことになった。旅行計画を練っていたときキエフを経由してオデッサ−黒海そして東ヨーロッパとバカンスルートを辿るか、ロシア文化を垣間見るレニングラード−フィンランドルートを考えていた。レニングラードを経由する場合、さほど遠くないソ連の最西端であるバルト3国も視野に入れていた。ここは本で読んで少しは予備知識もありハンザ同盟都市であった美しい街並みをこの目でみてみたいと思っていた。また、フィンランドで知人に会う約束もしていたことからモスクワ−バルト3国−レニングラードルートを旅行社からインツーリストへ予約してもらった。

 ところが、数日してバルト3国のホテルが取れないとの返事が来てしまった。モスクワから直接レニングラードというのも味気なく、されとてどこか見るべきところは?キエフだけ往復するかということになり、利用交通機関を往路は鉄道、復路は航空機と交通機関を変えて変化を付けてみたものだ。わずか1泊2日という短い滞在となったがこの街も忘れがたい印象が残っている。



モスクワからキエフへ

 キエフへは先のとおりモスクワから夜行列車(ドニエプル号だったと思う)に乗った。コスモスホテルに泊まっていた私はインツーリスト差し迎えのタクシーでモスクワ・キエフ駅へ案内され、駅ではまたインツーリスト職員が列車まで案内してくれた。あまりにもサービスがスムースだったのでソ連という国はいったいどういう国なのか非常に不思議に思ったものだ。

キエフ市内観光

 インツーリスト主催の市内バス観光ツアーに参加した(USD6.00)。このツアーで一通り市内の主要な場所を巡ったと思う。印象に残っているのが、科学博物館となっていたロシア教会、きっと由緒ある教会だっただろう。しかし、壁は塗りつぶされ、宗教色は排除されていた。

 それから、緑が初々しいマロニエの並木道、ドニエプル川を見下ろす大きな労働者の彫刻が建っている展望広場、赤い色をしたキエフ大学の建物などだ。

 バスにはアメリカ人が多かった。きっとツアーでやってきたのだろう。ウクライナ系米国人かもしれない。ロシア教会から出てきたときに、その中の3人連れの中年女性は、私のことを”ヘイ ボーイ!!”と呼び話しかけてきた。これには驚いたが、私より背が高くボリュームあるバストとヒップを揺らしながらの会話なのだから仕方がない。"I am from Tokyo, Japan"と答えると、"We are from Texas, USA."と返答したのを記憶している。そして、ロシア教会の内部が宗教的な色彩がなくロケットや宇宙船の模型が陳列されていたり、天井や壁は空の色に塗りつぶされていたことを嘆いていた。

キエフに到着した直後?、鉄道駅 ホテル近く大通り

披露宴の中での夕食

 泊まっていたホテルで、インツーリストホテルなのだが、夕食を食べようと思いレストランへ降りていくと結婚披露宴をしていた。しかし、ウエイターが披露宴に来ている人たちのテーブルの一つに座れと指示するのでよくわからない私はそのままそのテーブルに着き食事をした。途中から周りの人が私を踊りに誘い一緒に踊った。なんだかよくわからないままキエフの夜は過ぎていった。途中で私は退散したのだがその後も踊り明かしたのだろう。私は完全なストレンジャーだったけど、キエフの人々、ソ連の人々だろうか、彼らのおおらかさと陽気さに感嘆した。

市内散歩

 翌日はそれほど時間がなかったと思う。ホテルからシナノキ(ホウキポプラ)の並木道を延々と歩いた。どこを道歩いたか定かではないが、途中、本屋があったので立ち寄り、キエフの写真集とソ連の地図を買った。このころにはソ連の支払い方法も慣れていた。

 先ず、品物をレジに持っていき金額を書いた紙をもらい、もう一つのレジへ行き、そこでその金額を支払い、レシートをもらう。若しくは支払いのスタンプを押してもらう。それをもって最初のレジへ行き品物を受け取る。

キエフからモスクワへ

 モスクワへは飛行機で戻った。ホテルにインツーリスト差し迎えのタクシー(ラダではなくもう少し大きいタイプ)がきて空港までいった。移動が非常にスムーズだったせいかほとんど覚えていないが、要所要所でインツーリストが世話をしてくれた。フライトはツポレフだった。モスクワの国内線空港に着き、そこからタクシーでコスモスホテルまで送ってもらった。

キエフのホテルの印象
【キエフ概観】
 (kijev)ウクライナの首都。ドニエプル川の中流域にある大都市。八世紀ごろからビザンチンとの貿易で栄え、九世紀末、キエフ公国の首都となる。1240年モンゴルに侵入され、のちポーランドの領有を経て、1686年ロシア帝国に併合。19世紀末にはロシア革命運動の一中心となった。現在はウクライナの機械工業および交通の中心

キエフ大学


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