白夜のレニングラードLeningrad

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JPN | St.Petersburg

ソ連邦時代のレニングラード(現ザンクト・ペテルブルグ)
 1985年にナホトカ航路−シベリア鉄道モスクワ経由西ヨーロッパ行きで立ち寄ったソ連での最後都市レニングラード、ソ連のベニスとも称されるネバ川の河口に位置する橋の多い街、ロシア芸術と文化の中心、レニングラードの印象です。

 現在、名称がザンクト・ペテルブルグと革命前の名前に戻っています。


  • 右、レニングラード中心部地図(University of Texas)
  • 左、レニングラード都市圏図 (University of texas)

レッドアロー号
 モスクワからソ連の特急列車レッドアロー号でレニングラードを目指した。寝台特急列車で私は勿論外国人が乗れる最低料金の2等に乗り込んだ。シベリア鉄道と基本的に何も変わることのない寝台が上下に2段づつある4人部屋だった。このコンパートメントの乗客はマリ共和国出身の留学生とソ連の親子連れだったことを覚えている。

 モスクワから距離がどの程度あるのか忘れているが、モスクワを夜に立って翌朝レニングラードというスケジュールだった。既にモスクワ郊外の風景は幾度となく見ていたが、再度車窓から陽が長い夏場の草原を眺めた



レニングラード散策
 早朝、レニングラードに着き、そのままネバ河畔にあるインツーリストホテルにチェックインした。ホテルのインツーリストデスクに半日市内観光ツアーの広告が出ていたので参加した。6だったか8ドルだっとと思う。しかし、バスに乗ったらやたらと睡魔に襲われてどこをどう回ったのかよく覚えていない。ペトロパブロフスク要塞はホテルの窓からも見えたのでこれは覚えている。もう一つ有名なロシア教会に立ち寄ったが・・・。

 半日ツアーだったので2時頃にはホテルに戻ってきた。それから路線バスに飛び乗って自分の足でレニングラードを散策に出かけた。これもどこをどう歩いたのかとにかく賑わいのある場所を目指して歩いていった。一応地図上ではどの辺りにいるのかは把握していた。というのも、その日の夜にバレエ鑑賞を申し込んでいたので出発の時間までにはホテルに戻らなければならなかったからだ。

 

白夜
 午前零時を過ぎてもまだ外は薄明るかった。インツーリストホテルの窓からネバ川のはるか先にぼんやりと浮かぶ白夜の太陽が記憶にある。この時間、街は静まり返り、ネバ川に写る白夜の輝きが不思議な感じだった。

ペトロドヴォレツ
 レニングラードへ着いた翌日、郊外のペトロドヴォレツに宮殿があり足を伸ばした。フランス式の庭園はフィンランド湾へ向かってビスタが通っており、幾何学的な庭園のデザインは目を見張った。また、不定期に水が噴き出す噴水が小道に仕掛けられており、路面は濡れているのだがそれを知らないで通り過ぎようとすると急に水が噴出し観光客を楽しませていた。

ソ連出国、フィンランドへ
 非情に短いレニングラードの滞在でありあっという間に時間が過ぎていった。インツーリストホテルの近くにあるフィンランド駅から夜行列車で出国した。翌朝、国境を越える頃には乗客が身を乗り出して外を眺めていた。誰かが国境を通過したことを告げると歓声が沸きあがった。

 2週間を越えるソ連の旅がここで終わり、次のステージに映った。列車はヘルシンキ行きであったが、その手前のラハチという小都市で列車を降り友人に会いに行った。


レニングラードのホテルの印象

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