ソ連邦時代のモスクワ

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赤の広場に立つ
 1985年とてもさわやかな7月中旬のある日、この広場に立った。これまで何度も軍事パレードが行進するテレビ映像を観ていたが、ここはその映像ほど広さを感じさせない細長い広場だった。この広場の名前は”赤の広場”と呼ばれよく知られている。

 クレムリン宮殿の城壁が片側を、もう片側を”グム百貨店”の大きな建物が塞いでいる。そしてレーニン廟がクレムリン宮殿の正面に鎮座している。この細長い広場の方辺にはワシリー寺院という独特な屋根のデザインを持つロシア正教会が鎮座しアクセントを与えていた。一度ここに立ったら2度と忘れない光景だ。

しかし、昨日の夕方モスクワに着いたばかりなので、街の歩き方など知る由も無く、どうやってここまで来たのかと考え直すと、ホテルでここまでの行きかたを聞いて地下鉄で来たのだろうと思う。




赤の広場の新婚カップル
出発前に買った中古のCANON AE1-Programeをディパックに入れて出かけた。まだまだ一眼レフカメラに不慣れで、今思えば露出の調整がよく理解できていなかった。ただ物珍しさだけが先走っってシャッターを押した。

 私がここを訪れたとき新婚カップルとその一行が何組も記念撮影をしているのに居合わせた。それで私もパチリ!後から聞いてわかったのだが、共産主義時代は宗教が否定されていったため結婚には宗教色がなく一般には婚姻届(登録)を出した後、赤の広場や見晴らしの良い公園などへ出かけてそれからレストランで披露宴が行われるとのこと。この季節は結婚シーズン。ホテルでは披露宴のためレストランが貸しきり状態、しかし、フレキシブルなのか、他に食事を取る場所が無いからなのか、そんな披露宴に混じって食事した。

グム百貨店
 広場に佇み人の動きを見ていたら何人もの人がここに吸い込まれていく。その後を追いかけ好奇心いっぱいで扉を開けたらそこはアーケードだった。赤の広場に面するグム百貨店、天井がガラス張りで自然光がよくはいる2層アーケード様式の建物で小さなお店が限りなく繋がっていた。

 一通り見て回ったが衣類や小間物、化粧品をを扱う商店ががほとんどだった。中には家庭電化製品もおかれていたがソ連製か他の共産圏製で、衣類などと同様西側のデパートで見かける品はなかったように記憶している。とにかく規模が大きい印象だった。

コスモスホテル

 横浜を出航しナホトカ航路シベリア鉄道経由で旧ソ連邦の首都モスクワへ約10日間かけて辿り着いた。その長旅の疲れを癒すべくモスクワオリンピック開催直前に建設された真新しい(当時としては)このコスモスホテルに宿泊した。フランスのホテルグループが運営に参加しているとの話だった。

 ホテルの中にはベリュースカ?だったかドルショップがあり西側の製品がここでは売られていた。広い公園の前にあり、白夜に近い夏は夕食後の散歩が楽しみだった。

 地下鉄駅のすぐ前に位置しているので、モスクワ市内への移動はとても便利。5カペイカを払って利用した。最近聞いた話だが、このホテル、今は見る影もないとモスクワに住むロシア人が言っていた。(98年12月)確かめに行かねば。

ソ連国内のホテルの印象

モスクワでのお買い物方法
 買い物のシステムがここソ連では異なっていた。買いたい物をレジに持っていっても買えないです。

 先ず、買いたい品物を告げ金額を書いた紙をもらい、それを持ってレジへ行き、そこでその金額を支払い、レシートをもらう。若しくは支払いのスタンプを押してもらう。それをもって最初のところへ戻り品物を受け取る。

 旧共産圏ではこのやり方が多かった。買う品物を告げるためと支払いのために2度ならばなければならない。これは混雑していると非情に時間がかかる。

モスクワ散歩
 
 爽やかな夏の日、モスクワをMarinaの案内で散策、5カペイカの地下鉄、バス、小高い丘の上にあるモスクワを一望できる公園、夕食後の散策、陽の長い夏の公園でのアイスクリームなど、思い出深い一時でした。

 この季節モスクワは白夜、夜10時を過ぎないと夕方らしくならない。日本では体験できない夕食後にまだまだ昼間のような明るい公園を散歩。この独特な柔らかい日差しが心地よかった。



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