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南米、ブラジル

2002年3月に初めてブラジルへ出張した。ベレンで開催されたアマゾンと環境国際シンポジウムでの発表があり、その後、ブラジリアへ移動した。出発前の一ヶ月はマニラへ出張しており、帰国して二日後にブラジルへ発つタイトなスケジュールとなった。

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国際シンポジウム−アマゾンと環境へ2002年3月

最初の目的地はアマゾン川の河口に位置するベレン、直行便がないのでサンパウロ経由だった。成田からロスアンゼルス行きのJALが1時間程度遅れ、LAXではトランジットとはいえ一度入国しなくてはならなく(9.11以降そうなったとのこと)、かなり混雑していたので乗り継ぎのバリグへはぎりぎりでチェックインした。

そんな状況だったので、急いで乗り込んだもののなかなか飛び立つ様子がない。どうやら燃料が満タンに出来ないようだ、このトラブルで一度トランジットルームへ出て待つことになった。

そのため出発が遅れ、さらに、問題は解決せず満タンにできないまま飛び立ったので、マナウスで給油のため着陸、そして、サンパウロへとなった。

この遅れで、当然ながら乗り継ぎ予定のベレン行きバリグ(ブラジリア経由)に乗れなかったので、その次のベレン行き(リオ・デジャネイロ経由)バリグへ変更、サンパウロで6時間ほど待つ。

このように最初からフライトが遅れたのでなんだかんだとベレンへ着いたのは成田を出発して2日後の深夜(午前1:00)になった。シンポジウムは、到着予定の翌日、この遅れで到着当日になり、もともとタイトなスケジュールにトラブルが重なって、発表の打ち合わせが朝食時になった。通訳は英語−ポルトガル語と思っていたら、日本語−ポルトガル語でということになり、他の国とは異なる日系人社会のブラジルを感じた。通訳のM子は、クリチバからきていた。彼女のおかげで、特に問題なく発表は済んだ。このシンポジウムには日本の建設省から二人出席していた。発表の後、彼らと日本食レストランでランチを取り、ベレン近郊の橋梁建設現場へ視察へ行った。

ベレンでのシンポジウムの後はブラジリアへ移動し、ブラジリア大学でのプロジェクト(都市交通人材育成)へ合流、大学院生と活動をともにした。しばらくしたら、復活祭になり、その休みを利用してクリチバ、ポルトアレグレへ足を伸ばした。ブラジルは大国、ベレンを含めて飛行機で移動しているが、全て国内なのだ。当たり前の話だがその大きさと雄大さに驚嘆した。今回、ほんの僅かな滞在期間だったが日系人社会の存在するブラジルを垣間見ることが出来たことは光栄の極みである。

ブラジリアを発ち帰国途中、サンパウロ郊外の知人宅(上司の同級生、U氏宅)を訪れ夕飯を御馳走になり、その夜、ロスアンゼルスへ発った。地理的には遠い国だけれど親近感を持てた国だった。そして、その地で逞しく生きている日系人や日本人の生き方に感動を覚えた。


 

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